阪神・淡路大震災から30年…
昨日も東武百貨店池袋店の「ぐるめぐり 冬の大北海道展」に足を運びましたが、そちらのレポートについては後日日を改めておこなうこととします。
それでは本題。
1995年1月7日5時46分52秒に、兵庫県南部地震が発生しました。
これは早朝ということもあり大災害に繋がり、「阪神・淡路大震災」と呼ばれるようになりました。
もちろんそれまで自分が体験したことのなかった震度7という大地震で、私自身は関東在住のため被害に遭わなかったものの、連日報道される被災地の状況に唖然とするばかりでした。
当時貧乏な大学生だった私は学生寮に住んでいました。この震災で被災した学生のうちの一人が同年4月から寮の後輩として入ってきました。性格的に癖のある奴でしたが(ぉぃ)、震災を直接体験した者として、自分も彼から学ぶことは少なからずあったのではと思います。自分が卒業まで1年を残したところで寮を出て越境通学することになってから、彼との縁も切れましたが、今頃彼は何をしているのだろう…。
16年後に発生した東日本大震災は、福島第一原子力発電所の事故を併発し、それ故に復興が大幅に遅れています。事故を起こした原発からは今後半永久的に放射性物質が垂れ流されることとなり、それだけでも原発事故の恐ろしさに震えるほどでしたが、それにもかかわらず原発依存をやめられないこの国の体質にも恐ろしさを覚えています。
阪神・淡路大震災の時は、原発事故を併発しなかったことが、不幸中の幸いだったかもしれません。
また、昨年元日に起きた「令和6年能登半島地震」では、阪神・淡路大震災や東日本大震災のときとは比較にならないくらい、国も自治体(石川県)も対応が遅く、今でも復興とはほど遠い状況です。SNSのタイムラインにも実際に被災した方の書き込みがあり、国も自治体も劣化しているということを痛感させられました。阪神・淡路大震災の時は村山富市政権だったこともあり、国としても動きは速かったと記憶しております。
そういえば、昨年1月に、自分はこんなことを言っていました。
これは阪神・淡路大震災から29年、というより、先述の「令和6年能登半島地震」を受けて、一応自分も備蓄している非常食について見直そうとしていたものです。
今年はさらに、つい先ほどですが、非常食としてサタケのマジックライスを注文しました。
これについては、昨年9月、仕事にありつけずに無収入状態だったときに、SNSでつながりのある方から実際にマジックライスの「青菜ご飯」を送っていただき、試しに一袋分口にしたところ、評判通りの良品だったことが、購入のきっかけとなりました。
仕事にありつけて収入源を確保したら買おうと思っていたものの、ずいぶん先延ばしにしてしまいましたが、阪神・淡路大震災30年を機についに購入に踏み切りました。
備蓄水もありますので、これで既存の非常食の分も合わせ、半月程度までならなんとか食いつなぐことはできそうです。
もちろんこれだけでは未知の災害への備えとしては不十分です。とはいえ、自分の収入や手狭な部屋のことなどを考えると、そもそも十分な備えそのものが無理な話です。なるようにしかならないとはいえ、せめて食糧ぐらいはちゃんと確保しておきたいと思い、今回の購入に至った次第です。
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