秋葉原に住むIT技術者の単なる雑記帳

国や郷土を愛するということ

私は日本の東京都で生まれ、日本の千葉県で育ち、埼玉県在住経験があり、現在は東京都内に住んでいる、至って普通の日本人です。

 もちろん私はこの国が好きです。食べ物はうまいですし、(昨今そうでもなくなりつつあるとはいえ)四季もはっきりしていて風情を楽しめますし、鉄道車両などのデザインも洗練されていますし。1990年代前半頃までは経済や技術でも世界をリードしていましたしね。

 しかし、これらのことと、日本政府が進めていることまで好きになれるのかということは全くの別物です。


国は好きだが日本国は愛せない

 2001年の小泉内閣発足以降、それまで日本国民を守ってきた諸制度が次々に壊されてゆき、大半の国民(もちろん私も含む)は一方的に疲弊させられ続けています。消費税等の相次ぐ増税や、それに反して社会福祉の削減、さらには富裕層や大資本への優遇、国民総背番号制ことマイナンバー制度、軍事費拡大など、どれもこれも私達のためにはなっていません。

 自民党の一部の人間の言う「悪夢の民主党政権」は、彼らにとっては悪夢でしょうけど我々国民にとっては、少なくとも2011年の東日本大震災発生の時までは希望でありました。東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の時も、満点とは言えないものの当時の民主党政権は頑張ってくれました。特に当時官房長官だった枝野幸男氏は何日も寝ずに対応に当たっていて、Twitterでは「 #edano_nero ( #枝野寝ろ )」というハッシュタグがトレンド入りするほどでした。

 むしろ民主党政権が終わったあとの安倍政権以降の自民党政権のほうが何億倍も悪夢です。何年か前に西日本の広域で大災害が起きたときにも宴会していたようなところですよ?

 そんなところが憲法改悪とか言語道断もいいところです。要は自分たちが都合いいように国民を縛り付けたいだけ。そんな連中がごり押しする愛国心なんかには到底同調できません。

郷土愛どころか郷土は強度な憎悪の対象

 そんな私は、別に小泉政権発足の辺りから急に国や政府を嫌うようになったわけではなく、根底には郷土を愛することができなかったという事情があります。

 冒頭で述べたとおり、私は東京生まれの千葉育ちです。

 しかし、自分の周囲には、初対面でいきなり私に対して悪意を向けてくる者が大勢おり、リアルタイムに小中学生、高校生だった頃でさえも友人なんて数えるほどしかできませんでした。特に高校に至っては、地域有数の進学校に通っていて、当然ながら知的レベルの高い学徒が集まっていたにもかかわらず、連中の大半からは知性や理性を感じることができませんでした。

 当然ながら、自分は自分の命を守るために成人式に行くことができませんでしたし、同窓会の類いの集まりにも一度たりとも出席した覚えがありません。そもそも呼ばれた記憶が全くありませんが、仮に呼ばれたとしても、やはり生命の安全を優先させるために出席を断固拒否していたことでしょう。実家に帰省していたときも、やはり生命の安全確保のために、総武快速のグリーン車での移動が大原則でした(別に鉄道ファンだからグリーン車に乗っていたわけではない。ましてや自分は低所得層)。

 今振り返ると、十代の頃、自分の周囲にいた人間は、大半が今で言うところのネトウヨ(ネット右翼)同然の連中で、たまに極左がいて、その中間の、中道やリベラル(自由主義者)と呼ばれる人々がすっぽりと欠落していました。早い話が自分以外全員全体主義者と言っても過言ではない状況で、ただでさえ生まれつき視力が悪いこともあって他人と同等の活動をできなかった自分にとっては非常に過ごしにくい環境でした。中学時代には登校拒否の一歩手前まで行きましたしね。

 自分は今でこそリベラル(自由主義者)を名乗っていますが、別に生まれつきそうだったわけでもなければ、家族の影響でそうなったわけでもありません。ただ、周囲のほぼ全員が反面教師だったので、自分は全体主義者になることができず、また、そうならずに済んだだけの話です。十代の頃私と関わっていた人間たちに唯一感謝できることと言ったら、己らが反面教師になることによって私が全体主義者になることを阻止してくれたということでしょう。

 結果的に、私は自分の育ったところに自分の居場所を見いだすことができず、今の孤独な自分になってしまいました。

 故に、自分にとって「郷土愛」などという言葉は、「毎日がエブリデー」並みに意味のない言葉でしかありません。それどころか憎悪の対象ですらあります。

スローガンを掲げれば郷土愛が醸成されるわけではない

 私の出身高校があり、一時期住んでいたこともある千葉県木更津市には、「やっさいもっさい」という踊りがあります。

 氣志團のイベントなどで、地域外の方でもご存じの方は少なくないのではと思われます。

 Wikipediaによると、

昔からの木更津住民だけでなく、新たに木更津に来た住民が増えつつあった。そのような状況の中、従来の木更津住民と新しい住民との交流の場として、歌詞にもある「みんながおとなりどうし」を合言葉

などと書かれていますが、「おとなりどうし」どころか周囲から疎外されていた自分にとっては、なまじやっさいもっさいの歌がいいだけに歌詞の内容と地域の実情が限りなく乖離していることに憤りすら覚えます。

 やっさいもっさいにご興味のある方は、YouTubeの動画をご覧になるのもいいかもしれません。

愛して欲しければそれ相応のことをせよ

 今の自分には、体制側が求めるような「愛国心」も「郷土愛」も持ち合わせていません。

 そもそも、愛せよと言われてそれまで愛していなかった者が急に愛せるようになるわけもありません。これは日々の積み重ねなのです。

 第一、「俺を愛してくれ」と言って相手が簡単に自分を愛してくれるのであれば、自分は今頃少なくとも孤独な生活は送っていなかったはずです。

 それどころか、相思相愛だったはずの人との人間関係ですら、ものの弾みでいとも簡単に崩壊してしまうのです。

 他者に愛を求めるのであれば、まずはこの簡単なことの理解から始めてほしいものです。

 自分の意志が弱いのに周りに流されて愛するそぶりを見せたところで、それは本当の意味での愛ではありません。

tall Japanese girls are forming a scrum and opening their legs in front of the Imperial throne at midnight.

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