コウモリの箸置き
2日目のミートソースを温める。
最初からソースが作られているのは便利だが、結局パスタが茹で上がるまでの時間はいつも長いと感じる。
換気扇を回しながら、ただ時間が過ぎるのを待つのも悪くないが、それと同じくらい、妻にLINEを返したい。
LINEの連絡帳をぼんやり眺めていると、この人たちがもし俺に朝ごはんを作ってくれるとしたら、何を作ってくれるだろう、と考えてしまう。
同居している前提なのかと聞かれそうだが、そうではなく、ただ俺が朝起きたらその人が朝ごはんを作ってくれている、という事象だけがそこにあるという事だ。
2日目のミートソースも美味い。ただ結局は鍋が2つ出るので洗い物が厄介だ。
でも、調理するときは別々の鍋の方が、窮屈を感じないからそっちの方が好きだ。
美味しいミートソースを食べていたら、相対的にいつか食べた不味い弁当のことを思い出した。
今までは美味しいごはんに対して目をつぶって味覚に集中していたが、まずいごはんでも同じことをしてみると、美味しさではなく、どんな素材が入っているのか、に視点をずらせることに気づいた。これはちょっとした発見だった。
それとは別に、スーパーに弁当がいまだに500円くらいで並んでいることには、本当にありがとうございますと一文字ずつはっきり言いたくなるほど感謝してしまう。
最近は昼ごはんのあと、ほぼ必ずみかんを食べている。
美味しいみかんは、親指が皮を貫通した瞬間の皮と実のあいだの空気の感じで分かるようになった。
最近買っているみかんはどれも美味しい。
家は今日も快適で、1日3食があり、お風呂があり、寝床がある。
近くのスーパーに行けば肉も魚も野菜も米もある。
生まれたときからすべてが整っていて、世の中の役に立つ手段が自分には見当たらない。
この肉を隣町に届けないと空腹で倒れる人がいるんだが、届けてくれる?と言われたら、俺は手を上げて届けに行くだろう。
今の仕事はお金がもらえる手順を踏んでいるだけだと思う。
本当にそうなのか調べる熱量はない。
幸せが当たり前すぎて、今その幸せを明確に感じている。
人が亡くなったとき、天国か地獄に行くという考え方と、人は生まれ変わるという考え方の2つを知っている。
もし天国に行ったなら、天国で楽しく暮らすわけだから、生まれ変わることはできないのだろうか。
理想としては、天国で、丸い建物に窓があって、煙突がある家で、妻と2人で暮らしたい。
こういう簡単な考えごとを他人に話したい時ほど、実は俺はSOSを求めている。
他人のSOSは本当に分かりにくいということが、もっと広く知られてほしい。
今日も家には好きなソファーがあって、そこでコーヒーを飲む。
なんでもない時間をゆったり過ごしながら、今これって何待ち?と感じつつ、特に口に出すことはない。
今日は木曜だ。木曜といえば、このなんでもない感じで金曜もごまかすぞと気合を入れる日でもある。
ちなみに、金曜は土日休みの準備で忙しい。
コウモリの箸置きを軽く触って、いつも通りぬるく眠る。