about

割れた面がアメジストに見える

昨日の自分は、体が割れそうだった。
ひび割れた自分の体から、過去の断片的な記憶が漂い始める。

机の上のものがどれも動かせなくなる時、それは新しいことを始めようとしていて、最初から手法を間違えていたのだ、と気づく瞬間がある。
このような時、そのような光景だけが、頭の中にぼんやりあり、実際にそこに置いてあった物体は白く塗り潰されていてよく思い出せない。
どのネジだったのかも分からない細かいパーツは、すべてポリ袋にまとめられ、自分が捨てたのではなく、勝手に処理されたものとして脳が判断する。

缶でも箱でも、そこにあればとりあえずそれを振ってみる、という自分は、もうとっくにいないのかもしれないと思った。
そもそも、振るべき缶や箱が目の前にない。
家にある箱はすべて、自分で買ってきて、自分で何かを入れたものばかりだ。
子どもの頃に目の前にあった箱は、文脈の分からない容器だったばっかりに、大きく振る事で、その存在を自分に近づけさせていた。

そうして、缶を振っていると、友人が少し遠くに見えてくる。
缶を振っていて、自分が学校へ向かっていることには気づいていなかった。
少し走れば追いつけるし、話したいこともきっとあったはずなのに、理由を並べても、俺は走らない。
歩く速度を変えないまま会えず、それでも話しかけるときの第一声だけは無意識に考えていて、結局その言葉は使われないまま、その文章はただ消失した。

そんな事を繰り返しただけ、ただ体だけが大人になっていく。
大学生になった自分は、英語に興味はないかと言ってきた大人に誘われて、特徴が全くない灰色のビルに入った。
何もテナントのない階で、シャツのおじさんが降りていったことだけは覚えている。
磁場が下から上へと体を走り抜けたとき、さっきの降りた階で、おじさんが自分のためだけになる何かをしたのだと思った。

目的もないまま家に帰った記憶もなく、次の場面では自分はパソコンを触っている。
目が乾くというのは、劇的な出来事からはほど遠いサインのひとつで、本当に一日中パソコンを眺めていただけだったのだと脳が決定づけた。

ポップな色合いの民族ラグの上にガラクタを置いておくと、元々持っていないはずなのに、高級な電子音楽機器を盗まれたような感覚がして、どこか寂しかった。
代わりにおもちゃのお金でも置かれていれば、それは目で楽しむエレクトロニカとして処理されて、星と星とが衝突したかと思えば、クレヨンで描かれた火花が体裁を保っていただろう。

料理実習で、授業の終わりに、人がある程度いるにも関わらず、部屋の6割ほどが大きな空洞を占めていた。
大きく空いたスペースは、これまでの人の会話をすべて吸収するような形で、お別れを静かに開催していた。
誰かが何かをしている、音が反響する関係で、そんな事しか分からなかった。

鳥を飼っていれば、飼い始めた当初のことは多分思い出せない。
自分とは別の、ただ色違いの自分みたいなやつが飼っている鳥なのだと、どこかで無意識に考えている。
お金に反射した光が当たれば、色違いの自分は消える、そんな感覚であり、隣町を見れば、いつも厚い層の雨雲でいっぱいだった。

ご飯が炊ける音がして、電源ボタンを連続で2回押された気がした。
豆腐を使えば味噌汁が二杯もできてしまうが、おかずが貧相なので困らない。

明日には体がボンドでくっついて、全て元に戻る事を祈る。