[Live Review] 元ちとせ Special Live in Kawagoe
今夜は近所で元ちとせさんのライヴをみてきた。
コロナもあってライヴをみるのは8年前の有楽町国際フォーラムのホール&オーツ以来という長いブランクに驚き。
元ちとせさんのライヴは、2010年10月に奄美大島・名瀬市大浜海浜公園であったSetting Sun Sound Festival以来だから13年ぶり。
ぼーっとしてる間に元ちとせさんEPICデビューから20年を迎えられていたということで追いつづけてられなくてホントごめんなさい!
今夜の会場は自宅から徒歩5分のウェスタ川越大ホール。
近所に住んでて起業したときはこのウェスタ内の一室だったけどプロのコンサートをみにいくのははじめて。
ホント、瀬戸内町嘉徳から川越市新宿町まできてくれてありがとう!
今回のコンサートは川越市内のいもの子作業所のチャリティイベント。
いもの子作業所の方が運営されているカフェ&ベーカリー「どんなときも」の美味しいパンを毎月届けてもらっていただいている。
コロナ禍での作業所の状況が歌で綴られたオープニングアクト。
そして、元ちとせさんが登場。
バンドはギター、ピアノ、パーカッションのアコースティック編成。
インディ時代の「コトノハ」の楽曲からはじまり「いつか風になる日」でフッとこの曲がかかってきた当時の匂いがした気がした。
つづいての「豊年節」で脊髄から後頭部に電気が走って涙腺が崩壊。
その後、「真赤な太陽」「Perfect」「Ob-La-Di, Ob-La-Da」「TRUE COLORS」とカバーがつづき会場が一気にあたたまる。
この流れで脳裏に「WOMAD」という語が浮かんだのは私が勝手にサンディーやユッスー・ンドゥールを思い出したんだと思う。
ピート・シーガーのカバー「腰まで泥まみれ」や「ケ・サラ」で平和のメッセージは最近の私が追えてなかった姿だった。
アルバム「平和元年」をしっかり聴こうと思う。
そして最新アルバム「虹の麓」もちゃんと聴けてなかったので明日の宿題。
初めて聴いた「えにしありて」はすごくよく、きっと長く歌われ愛される楽曲になると感じた。
そしてラストは「ワダツミの木」。
これがまったく予想外のアレンジでかなりヤられた。
当時から上田現とジャパニーズレゲエの文脈で聴いてきた曲だったけれどこの20年ですごく進化していて楽曲が生きているのを感じられた。
アンコールは「ぐるだんど節」からの「ひかる・かいがら」。
「ひかる・かいがら」の背景を初めて知ったけれど現実の物語がある歌は力強い。
そして「ぐるだんど節」を聴いてやっぱりシマ唄のひとだと再認識。
ときはあっという間にすぎ、会場からあるいて5分で帰宅。
そして3時間たったいまもなお余韻が残っている。
脳内にながれているのは「えにしありて」。
そう、元ちとせさん、そして奄美大島には底知れぬ「えにし」がある。
琉球文化に夢中だった学生時代は沖縄島唄の研究ばかりしていた。
版図を沖縄本島から宮古・八重山まで広げることはあったものの、与論以北の沖永良部や奄美大島のことはまったく考えたことがなかった。
大学卒業後、STUDIO VOICEのディスクレビューでみつけた中野律紀を知り、後に都内のお店でやってたDJイベントにゲストにきてもらった。
いつか奄美に行かなきゃいけないな、と思っていたこともあり、30歳直前にレコード会社をやめ長い休暇をとり、例のごとく沖縄を放浪したあと海路フェリーで奄美へ行くことにした。
本部港から与論港、和泊港、亀徳港を経て名瀬新港に着いたのは深夜だった。
はじめての奄美、前情報もいれておらず宿も取っていない状態。
港に降り立ったはいいけれど新港は街から離れていて周りは真っ暗。
下船した人たちはみんな迎えの車で帰っていく。
呆然と立ち尽くしていた私をたすけてくれた人がいたんだけど、この話はまた長くなるのでここまで。
島を路線バスを使いながら転々としていたなか宇検村の花火大会でみたシマ歌漫談に衝撃を受けた。
結成間もないサーモン&ガーリックだった。
直前の沖縄滞在中は沖縄漫談ワタブーショーの照屋林助さんに会おうとしていた(会えなかった)ので文脈的にもドンズバだった。
とにかく、初めての奄美で多くの人にとてもよくしてもらい、我が旅人生のなかでも一番忘れられない地になった。
特に瀬戸内町古仁屋の宿の窓から見える景色に圧倒された。
大島海峡の紺碧と加計呂麻島の濃い緑、そして青空のコントラストに圧倒され、「死ぬときはこの景色をみながら息を引き取りたい」と古仁屋で出会った人に言ったくらいだった。
その後、ウェブの会社に勤めながらEPICからデビューした中孝介くんのプロモーションのお手伝いをすることになった。
またここで奄美大島との関係が生まれ何度か行き来をし島のみなさんにたいへんお世話になった。
このころにはすでに元ちとせさんは全国的にブレイクを果たしていてその背景であり原動力であった奄美文化の凄さを痛感した。
いやぁ、奄美大島にいかないといけない。
呼ばれていると感じる。
今日、元ちとせさんは近所までわざわざきてそれを伝えに来てくれたんだと思う。
勝手だけれどこんな想像ができることがしあわせでしかたがない。